2025.12.13
このたび篠原 皐樹 主務が2025シーズンをもって退任することが決定いたしましたので、お知らせいたします。

氏名 | 篠原 皐樹(しのはら さつき) |
|---|---|
出身地 | 千葉県鎌ケ谷市 |
生年月日 | 1998年5月1日 |
選手歴 | ミナトSC Jr(千葉県)→ミナトSC U-12(千葉県)→ミナトSC U-15(千葉県)→法政大学第二高等学校(神奈川県)→ミナトSC TOP(千葉県) |
経歴 | 2021年 FC今治 副務 |
2025年シーズンをもちまして、FC今治を退任することとなりました。
とうとう旅立つ時が来たようです。
「かわいい子には旅をさせよ」
※可愛いかは別としてそんな日が来た感覚です。笑
「文章は短く、簡潔に。」が鉄則なのですが、
ここから先、文章がとても長くなりますので、ご注意ください。
お時間がある際に読んで頂けたら幸いです。
2020年12月23日。
当時大学4年生だった私は、ろくに就職活動もせず、「Jリーグのマネージャーになるんだ」その一心で大学生活を送っていました。そんな時、「FC今治がマネージャーを探してるみたいだけど話聞いてみる?」というお話が舞い込みました。
その2日後の12月25日、都内のホテルで岡田会長と矢野社長と面談をさせて頂きました。その結果、FC今治に加入することが決まりました。最高のクリスマスプレゼントを頂いたことを今でも鮮明に覚えています。
FC今治という素晴らしいチームでチャンスを与えてくださった、岡田会長、矢野社長にこの場をお借りして感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
2021年シーズンから加入し、
2021年は「副務」として1年間、2022年からは「主務」として4年間、計5年間チームに携わらせて頂きました。
今思えばあっという間の5年間でした。
2022年8月28日。
2022明治安田生命J3リーグ第22節
アウェイの鹿児島ユナイテッド戦。
チーム内で新型コロナウイルスが蔓延し、この日のエントリー人数はユースの選手を入れて15名。
今治を出発した時には16名だったのにも関わらず移動中にも体調不良者が発生し離脱。試合が出来るか不安が残る中、迎えた当日でした。
「J2に上がるために集まった選手であり、スタッフ。誰が出ても戦える。」チームで覚悟を決めて、戦力や実力以上に気持ちで闘い、勝った試合だったと思います。
これまでも、これからもこの試合以上に記憶に残る試合はないかもしれません。
2024年11月10日。
2024明治安田J3リーグ第36節
アウェイのガイナーレ鳥取戦。
J2自動昇格を懸けて闘った試合。
この年、苦しい時期もありながら、自分達で昇格をつかみ取れる目前まで到達。
多くのサポーターの方々やパートナー企業の皆さんが鳥取まで駆けつけてくれ、芝っち広場でのPVも大勢のお客さんで後押しして下さいました。
そして掴んだ念願のJ2昇格。
JFL→J3の昇格も11月10日、J3→J2の昇格も11月10日。
FC今治ファミリーにとって、11月10日はこれからもずっと胸に刻まれ続けることでしょう。
思い返せば、沢山の思い出が浮かんできます。
FC今治ファミリー思い出の地「夢スタ」での公式戦、満員のアシックス里山スタジアムの光景、心臓まで響く大声援、嬉しかったこと、楽しかったことはもちろんですが、1人涙したことも多々ありました。
多くの方々に支えて頂きながら過ごした5年間全てのことが僕の財産であり、マネージャーキャリアの基盤となりました。
FC今治で過ごした5年の間で出会えた
94名の選手達、35名のトップスタッフの方々、パートナー企業の皆さん、バックスタッフの皆さん、レディース・アカデミースタッフや選手達、スクールコーチやスクールの子ども達、芝生管理業者の皆さん、Voyageの皆さん、FCIの生徒達・コーチの皆さん、街で関わって下さった皆さん、そしてどんな時でも支えてくださったサポーターの皆さん、全てのFC今治ファミリーの皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
また帰ってきたい街、また帰ってきたいと思えるクラブに巡り会えて幸せです。
またお会いしましょう‼️
2025年12月13日
篠原 皐樹

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トップパートナー
エグゼクティブパートナー

































